人は人生で1度は遅刻や時間に遅れたことがあると思う。
もちろん遅刻をしたことのない人も中にはいるだろう。
それはそれで素晴らしいことだ。
遅刻しないことに越したことはない。
でも多くの人が遅刻したことがあるはずだ。
実際、私も最近トレーニングに遅刻をした。
時間には間に合っているがチームメイトに
連絡をもらってからトレーニング会場に向かったので
実質「遅刻」みたいなものだ。
残り試合が少なくなってきている上に
「#13のプロサッカー選手の契約交渉」でも書いたが
契約交渉だったりでただでさえデリケートな時期にチームに迷惑をかけたし
本当に人として自己管理が甘いと感じた。
何よりも「遅刻」によって「信頼」を失ってしまったと思う。
遅刻とは
遅刻というものは人の信頼、信用を失うことになる。
コツコツと今まで積み上げてきたものが一気に崩れ落ちる。
そんな感覚だ。
周りの目が冷たく感じるし自分一人取り残されたような気分になる。
この時に誰にも何も言われずに日々を過ごすのは辛い。
幸い私のチームメイトは暖かく愛のあるイジリをしてくれた。
遅刻をネタにして雰囲気を良くしてくれてチームの一員だ。
そういう風に思わせてくれた。
本当に感謝しているしまた試合でチームメイトを助けたいと思った。
ただ全員がそういう風に思ってはいないのも事実だ。
もちろん私が遅刻をしている。
それをよく思わない人もいるのは確かだし100%正しい。
その時に思ったことがある。
信頼度が許容範囲度を決める
今回遅刻をして愛のあるいじりをくれたり変わらずいつも通りに接してくれた人がほとんどだった。
でも逆の発想で自分がチームメイトの立場だったらどうだろうか。
もちろん遅刻した人はワザと遅刻しようとしたわけではないし、遅刻に対して反省してると思う。
なので私は基本的には軽くいじると思う。笑
その方が今回の私のように気持ちを軽くしてくれる。
でも全員にそういう風な扱いや態度を取るかと言われれば”No”になる。
じゃあ何が基準で”No”になるか。
信頼度だと思う。
例えば遅刻した選手が普段からトレーニングに100%で取り組んでいてピッチ内外でもリスペクトできる存在で信頼している人だったら
愛のあるイジリをしてさらっと普段通り接すると思う。
またはいつもあんなに真面目な選手でもたまには寝坊することもあるんだなと笑い話になる。
でも普段のトレーニングやゲーム、ピッチ内外でリスペクトするのが難しい人が遅刻するとなると
イジリもなかなかできないし気が抜けていたんじゃないか。という懐疑的な見方をしてしまうかもしれない。
そこは私自身の人としての器の小ささがもしかしたらあるのかもしれない。
器の大きい人間だったらどんな人に対してもフラットに接することができるかもしれないが。
今回言いたいことはそこの部分ではない。
自分はどっちの人としてありたいか
先程の話の流れでいうと自分はどっちの人間でいたいか。
これが今回伝えたい内容である。
遅刻をしたことによって相手にどう思われるか。
その時点で信頼してもらって許してもらえるのか、懐疑的な見方でみられるのか。
もちろん遅刻をして許してもらえるほど甘い世界ではないし社会人としては常識外の話であることは理解している。
でも極端に言ってしまえば
こいつなら何でも許せちゃうよ。なのか
いやいや。と懐疑的な見方をされるのか
そこの境界線は信頼度になってくる。
自分は他人にとって信頼されているのか、されていないのか。
何度も言うが、信頼されているからといって何でもOKではない。
こいつなら何でも許せると信頼関係ができている選手なら
ミスもカバーしてあげたいと思う。
そういう人でありたいし、プレイヤーでありたい。
そう思った。
その為には毎日の積み重ねが大事だし
日々、感情の波のある毎日の中でどれだけ信念を持って行動、日々を過ごせるか。
それが周りに認められ、信頼に変わっていく。
そういう意味ではまだまだ足りないと感じたし、もっともっと人に信頼される人間でありたいと思う。
結局のところ人と人の繋がり
今回は「遅刻」をテーマにしたが
サッカー界は結局人と人の繋がりだ。
信頼されていれば色んなクラブから話があるし(もちろん選手としての能力が一番大事)
引退した後もクラブからチームに残ってほしいと言われたり
違う業界へのパイプも作ることができる。
本業はもちろんピッチで結果を残すことには変わりはないが
「人間性」や「信頼度」も、ものすごく大事になってくる。
プレーの質にも拘りながら人としての価値も高める。
それが必ずプレーにも出てくる。
だからこれからも人に信頼される人間でありたいし
そのために普段からプレー、私生活にこだわってやっていきたい。
それが必ず自分の価値になるから
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